上田常一「(教材解説)初等理科書『庭の花』」『文教の朝鮮』第104号 1934.4:
 69-77頁


教材解説 初等理科書『庭の花』

京城師範学校教諭  上田常一


69-70頁:

庭木

庭木には随分種類が多いのであるが、教科書には「美しい花の咲く木を植ゑてよい庭をつくろう」と限られて、そこに七つ許りの木の名前が挙げてあるから、先づ此等の木に就いて説明することにする。

(一)れんぎょう (略)/

(二)げんかいつつじ (略)

(三)ちょうせんやまつづじ (略)

(四)あんず

(五)もゝ

(六)さくら  朝鮮にある桜の中で花が最も多くについて、一事にぱつと開くものは染井吉野(そめゐよしの)である。俗にこれを吉野桜と言つてゐるが、吉野山の桜は所謂山桜であるから間違へてはならぬ。染井吉野は花が真に美しいために内地から態々苗木を取り寄せて、到る所の公園や神社の周囲に植ゑられて、桜の名所をなしてゐる。彼の山桜と異つて花時には葉を出さぬから木はすつかり花で包まれてしまふ。山桜は朝鮮にもあるが、内地のと異つて葉の下面葉脈状に微毛がある。毛の生えてゐる点ではけやまざくらに似てゐるが、その方は更に花梗にも微毛があるから区別出来る。染井吉野は元来暖い地方の産であるために、寒さには弱い。長年これを取扱つた公園の人の話では、零下二十度になると凍つて縦に一直線に破裂するといふ。事実京城は本年は一月下旬頃が珍しい寒さであつて、ために大学病院構内の桜が縦裂したのを私は実際に見たのである。

(七)ゆすらうめ 内地の人々が桜花を賞するがやうに、朝鮮の人々はむくげの花やゆすらの花を賞してゐる。李王家の御紋はすももの花であるからゆすらの花と間違へてならぬ。

教科書に載つてゐる庭木の種類は以上であるが、これ以外に求めるならば、右のむくげ(槿)があり、(朝鮮のことを槿域ともいふのは古来この花を賞してゐるからである)

生垣用として蔓ばらがある。又大きくなる木としては、きりにせあかしあねぐんどかへでがあり、美しい花を咲せないけれどもこのてがしはや新緑の見事なからまつ等がある。


71-72頁:

木の芽

桜の芽の構造は第一図[略]に見るがやうに、外側には褐色の小さい鱗片が重つてをり、次にこれよりも大きくて一部緑色を帯びたところの鱗片状の総苞があり、その内側には更に苞が/あつて芽の柔い部分を保護してゐる、この中心の部分は、花芽に於いては幼い花であり、葉芽に於いては葉をつける枝になるもので、その葉は図[略]の横断面にあるやうに綺麗に畳まれてゐる。芽を解いただけでは、此等鱗片・総苞・苞の位置がはつきりしないと思はれるが、それは芽の綻びた時に比較して見るとよくわかるからそれ迄待たれたい。


73,75頁:

桜の花

文部省の理科書のさくらが朝鮮ではももの花へ書き換へられ、今度は元のさくらに返つたのであるが、前にも言つたやうに今では染井吉野が到る所に植ゑられて来てゐるから、概して言ふとももよりもさくらの花が得易いやうに思はれる。染井吉野の開花期は地方によつて異るから全鮮同時に取扱はれぬのは申す迄もない。この開花期に就いては第二図[略]を見て戴き度い。この図は広島文理科大学生森千春氏が、京師同窓醇和会報第十九号に「はなごよみについて」と題して寄稿されたものゝ中にある原図である。非常に参考になると思ふ。氏はこれに就いて、予報の予報として発表したもので、追つて朝鮮博物学会誌に発表したいと書いてをられるから、その中詳細なる研究が出ることゝ思ふ。

桜の花芽が開くと一房の花になる。その各々の花は花梗と呼ばれてる柄によつて中央の花軸についてゐる。花梗の基には苞があり、花軸の基には総苞がある。鱗片は芽が綻びた時分には多くは落下してゐる。染井吉野は既に述べたやうに葉芽に先立つて開くから、花時には葉がまだ出てゐない。これは本種の大切な特徴の一つである。次の一個の花を検べると、//第三図[略]に示すやうに、花梗の先端には壷状をした花托(かたく)と称する部分があつて、この花托に萼・花冠・雄蕊・雌蕊を、謂はば花の各部分を載せて(つけて)ゐる。花梗・花托・萼には毛が生えてゐるが、これも山桜と異る点である。花弁の形は一寸定つてゐるやうに思へるが、生徒に花弁を取り離して書かしてみると、色々変つたのを見出して喜ぶであろう。雌蕊は柱頭・花柱・子房の三部から成り花柱の下部には毛が生えてゐるが、これが又山桜と異ふ点である。子房の中には胚珠がある。子房が熟すると果実になり、胚珠が熟すると種子になる。桜の胚珠は二個あるが、その中一個は萎縮して発達しないから、果実の中には一個の種子しかない。雄蕊は葯は(ママ)花絲の二部から成り、数は随分沢山あるから課題として一々精確に数へさしてをいてグラフを作つてみるのも面白い。

76-77頁:

受精作用

私は特に染井吉野の受精也と書いたものを見たことが無いので致し方なく、被子植物の受精といふ一般的のものをあげて説明しておく。恐らく染井吉野もこれと大同小異であらうと思ふ。即ち子房の中には一個乃至多数の胚がある。(桜では前に述べたやうに二個ある)この胚珠の中に胚嚢(はいのう)があり胚嚢の頂上に三個、正反対の所に又三個、都合六個の細胞があり、更にその中央に二個の遊離核がある。頂上にある三個の細胞の一つは卵細胞で、中央の二個の核は胚嚢核と呼ぶ。花粉が柱頭につくと直ぐに発芽して、花粉管を生ず。染井吉野では柱頭の表面に粘質の分泌物があつて花粉の附着に便利してゐる。(受精が終るとこの粘質物は出なくなる)花粉管は伸長して花柱の組織内に進入し、漸次下/降して珠孔を経て胚嚢に到達する。花粉の中には最初唯一つだけの核があるが、その中に分裂して三つの核となり、その一つを花粉管核、他の二つを精核と言ふ。(第四図[略]では共に精核にしてある)そしてこの三核は絶えず花粉管の先端に位置してゐる。

花粉管が胚嚢に到達すると、二個の精核は花粉管を出て、一つは卵球の核と合し、他の一つは胚嚢核と合して、各々融合してこゝに受精作用を完了することになる。こゝ迄に既に気付かれたやうに、被子植物に於いては、胚嚢内に於いて受精作用に似たやうなことが二個所に於いて、殆んど同時に行はれてゐることである。即ち一つは卵細胞で他は胚嚢核に於いてである。それでこの現象を重複受精と呼んでゐる。受精した卵球は分裂して後に胚となり、胚嚢核は胚乳となる。図に見られる胚嚢中の反足細胞とか、卵球の周りにある二個の細胞(助細胞をいふ)はその中消失して胚に吸収されてしまふ。

花粉を顕微鏡にかける時分には、通常スライド(台ガラス)の上に水で装置して鏡検することになつてゐる。花粉の形状は乾湿の度によつて多少異ることを心得てをき度い。


※原文の旧字体は新字体に改めました。仮名遣いは原文のままです。