森爲三「朝鮮の桜」『朝鮮及満洲』第306号 1933年5月1日: 68-69頁


朝鮮の桜

京城帝国大学予科教授 森爲三


一、内地より移植せし桜

現在朝鮮の主要都市に植わつて居る桜、京城昌慶苑や景福宮や総督府官邸の谷間に植わつて居る桜は何れも染井吉野桜で今から二十余年前即ち総督府施政以来内地から移植したものでもと朝鮮にはなかつたものである。この染井吉野桜は東京の上野公園や隅田川の河畔等に植わつて居る所のものであるが之れも幕末の頃江戸染井の花戸が市中に売り出し次第に拡まつたもので従つて其の内地に於ける栽培の年代も比較的新しいものである。この染井吉野桜は大和の吉野が原産地ではないが一般の人は吉野桜とその吉野の山桜と混同する虞があるので故松村任三先生が染井の花戸から出たのによつて染井吉野桜と命名されたのである。この染井吉野桜は何処から江戸に入つて来たものか何処が原産地であるか一切不明であつた。ある人は伊豆の大島を原産地としたけれど学者の調査の結果誤りなる事が発見された。しかるに大正元年に独逸のケーネ氏は明治四十一年当時済州島居住の仏人宣教師タケー氏が同島の山地で採集した桜が染井吉野桜の変種で嬴州桜と称するものなることを報じ染井吉野桜の天産地の明かならざる際其の変種の天産地の発見されたことは学問上注目すべき事であつた。其の後大正五年に東京帝大教授中井猛之進先生は朝鮮森林植物編第五輯に染井吉野桜の済州島に産することを書し京城帝大の講師石戶谷勉氏も済州島居住の片倉角治氏採集の標本で染井吉野桜の済州島に天産することを報じた。しかし実地に植物学者が済州島に渡り其の天産地を調査して確証する人はなかつた。それが昨年四月京都帝大の助教授小泉源一先生が済州島に赴かれ同島漢拏山の南山腹六百米の処で真の染井吉野桜の野生せる状を発見し多年学界の疑問となつて居つた染井吉野桜の天産地が済州島なることが確認されたわけである。それで染井吉野桜は天産地の済州島から日本、支那間を往来する船が難破して済州島に漂着した人が日本にもたらし帰りしものか又は済州島辺に出漁せし漁船が内地にもたらしたものであるか不明なれど、現今前述の如く東京其の他内地都市に大にひろまり花見と云へば多くはこの桜の花見である。染井吉野桜は山桜より花期早く花のみが先に一時に爛漫として咲き綻ぶから非常に華美なる景観を呈する。此の染井吉野桜が併合後朝鮮に渡つて来たのであるから朝鮮の染井吉野桜は天産地の済州島から直接にわたらず一旦内地に行き内地から更に朝鮮に渡つて来たものである。尚近年我が国から米国ワシントン、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、英国ロンドン等へ送られ、殊にワシントンでは我が国に劣らざる生育佳良で満開の状を呈する。其の海外にもはびこつて居る桜は何れもこの染井吉野桜である。かく済州島原産の染井吉野桜が世界中にひろまりつゝある事は我が国威の延長にも似て誠に愉快な事である。


二、朝鮮在来の桜

朝鮮半島在来の桜は何れも山桜の系統のものである。山桜系統のものは染井吉野桜の如/く早期に花のみが開発して然る後に嫩葉が開発するのと異なり開花期が染井吉野より遅く花と葉が同時に開発し、山地に於て松樹や闊葉樹の内に点々として開発する状は却て気品の高いもので朝日に匂ふ山桜かなの歌の如く優美なものである。京都の嵐山や大和の吉野の山桜の趣のあるものも山桜で他の木の間に混じて葉と共に開発するからである。この朝鮮半島の山桜は左記の七種類である。

(1)オホヤマザクラ
(2)テウセンヤマザクラ
(3)アケボノザクラ
(4)ヒメヤマザクラ
(5)ビロウドヤマザクラ
(6)カスミザクラ
(7)ケヤマザクラ

其の中オホヤマザクラは咸鏡南北道・江原道海岸地方に多く殊に咸北豆満江の西水羅の半島や元山の永興学校辺には多数の老株があつて、四月下旬満開の時は嫩葉の淡紅、紅葉、青、紅葉色とりどりに大形の花が咲き綻びて真に美観を呈する。其の他のヤマザクラの種類は主として中部以南に多く生育し北部にはアケボノザクラなどの紅の種類が存するのみである。この朝鮮の山桜が多く存して大和の吉野や京都の嵐山の如く趣のある景観を呈するのは金剛山や京城近くでは議政府の東にある光陵である。光陵はアカマツやテウセンモミの針葉樹の濃緑、ナラカシハやコナラ等の闊葉樹の新芽の淡緑の間に種々の朝鮮山桜系統の花が咲き乱れ樹下にはサクラサウや、ヤマブキサウフクジユサウ、ミスミサウ等の可憐の花が開ける様は何とも云はれない絶景である。又京城近くの牛耳洞にはケヤマザクラ、テウセンヤマザクラ、ヒメヤマザクラ等の在来種が北漢山を背景に渓流に沿ふて枝ぶり面白き老木が点々して居るのも捨て難い景色である。文献には牛耳洞の桜は内地から移植したとあれど現在存するものは何れも朝鮮在来種である。尚済州島には前記の染井吉野桜、嬴州桜の野生せる外京都嵐山、大和の吉野山にある山桜の原種や又済州島特産の細葉桜やタンナザクラ等の桜が自生し桜の種類が非常に多く桜を研究するには絶好の場所と云つてよい。

終りに朝鮮半島の桜を簡便に見わける検索を示せば次の如くである。

一、花は葉の開発に先だちて開き花軸短く花梗萼に毛あり、花期早し…染井吉野桜、済州島原産。

二、花葉同時に開発、花期遅し…山桜系統[。]

1. 若枝は太く暗紫色を呈し花は大形にして桃紅色…大山桜。樺太、北海道、朝鮮東海岸、本州の北部原産。

A 花軸延長す。

a 花軸花梗共に毛なし…山桜、済州島、内地原産[。]

b 花軸花梗毛なし、葉の表面に毛あり…朝鮮山桜、朝鮮半島原産。

c 花軸花梗毛なし、葉の裏面に毛あり…毛山桜、右同。

B 花軸短し。

a 花梗葉に毛なし…曙桜、内地朝鮮原産。

b 花梗葉柄に微毛散生す…霞桜、内地朝鮮原産。

c 花梗葉柄に微毛密生す…ビロウドザクラ、朝鮮半島原産[。]

C 花軸殆どなく花稍々小なり。 

花梗に毛あり、花は葉よりも稍々先に開く…姫山桜、朝鮮半島原産。(完)


※原文の旧字体は新字体に改めました。仮名遣いは「くの字点」以外は原文のままです。