石戸谷勉「染井吉野桜の原産地(果して済州島なりや)」『朝鮮及満洲』第258号
昭和4年5月号 1929.5.5: 67-68頁
染井吉野桜の原産地
(果して済州島なりや)
京城帝国大学医学部講師 石戸谷勉
春風駘蕩、花爛漫、人びとは行楽の酒に酔ふて春日の長きを忘るゝの時も、吾々科学者にとつては、その花の正体を見究める仕事に追はれて花に酔ひ、人に酔ふて駘蕩たる気持を味ふなどゝ言ふことは思ひもよらぬことである。厨川白村氏は曾つて此の事を語つて「詩人は桜の花の咲き誇るのを見て桜花爛漫などゝいつて其の美に酔ふて居るけれど、科学者の目には生殖器爛漫としかうつらない」といつたことがある。これも余りに科学者の心理を穿ち過ぎた言葉ではあるが、人々を一刻千金に酔はしてゐる桜の花を冷たく眺めて、その故郷や祖先を調べて見ることも面白いことではあるまいか。
今京城一の桜花の名所昌慶苑に咲き誇つてゐる桜は吾々の仲間では染井吉野桜と名付けて居る。これは内地にも極めて多く我国の国華の花形役者となつてゐるが、此の桜が生れ故郷の不明な風来者であると云ふことは誰しも思ひつかなかつた事柄である。此の桜は徳川時代の末頃江戸の植木屋から売り出されたと云ふだけで、彼の一族の居所は明治、大正[、]昭和の今日まで、本邦の植物学者は勿論、外国の学者までが手伝つて探したけれども、とんと不明である。ところが此の一族は多数の植物種群を生成して居ることによつて有名な済州島に居ると云ふ説が出た。其の来歴は済州島の南岸の西帰浦から二里ばかり山手に住んで居た仏蘭西の天主教の「タケー」と云ふ耶蘇の僧さんは本職の説教よりも植物採集に浮身を窶[やつ]し、余暇さへあれば彼の従者とゝもに漢拏山に入り、植物の標本を盛に採り、これを欧洲の学会に送つた。時は明治四十一年の四月の十四日、俗界の人々は花見の酒に酔つて居る頃彼は朝天の上方なる海抜六百米、即ち観音寺のある附近で、一本の桜樹から花を着けてゐる一枝をとり、これに自分の採集番号である、四千六百三十八号の番号札をつけて、欧洲に送つた所、ベルリン大学の教授で、薔薇科植物の大家である「ケーネ」先生は、是を日本の江戸にある染井吉野桜の一品であると検定せられ、大正二年に小泉源一博士は日本の薔薇科の「モノグラフ」をものせられたときにも又それに拠られて居る。大正四年に北米のハーワード大学の「ウイルソン」教授は、御苦労にも北米の大西洋岸から日本の桜を漁(アサ)りに来られ、松村任三博士に会はれて、染井吉野桜は何処にあるかを聞かれたところ、博士は伊豆の大島だと云はれたので、わざわざ行つて見たところ、そこには大島桜があり、染井吉野桜は無かつた。そこで彼は染井吉野桜は、大島桜と彼岸桜との雑種(アイノコ)であるまいかと言ふ説を樹てた。中井博士は「タケー」僧さんに彼の採つた桜はどんな状態にあつたかと問はれたるに対して、天然生の灌木の間に唯一本あつたと答へられたと云ふのであるが、その「タケー」さんも、又「タケー」さんの桜を検定した「ケーネ」も二人共此の世の人ではないばかりでなく、其の後此の島からそれ以外に染井吉野桜を発見しない/のであるから、此処に吾々は「タケー」僧さんの採られた一枝の植物標本によつて二つの問題をのこされたことになる。即ち済州島から出た染井吉野桜は、真の野生品であつたかどうか。若し然りとすれば日本の染井吉野桜は「ウイルソン」氏の言ふ如く雑種で無く立派な家系を有するものであるといふことになる。第二は済州島から日本に渡ったものでなければ他に何処かにこの一族は生存して居なければならぬ筈である。
こう云う疑問から私はその後、済州島に現存する桜について色々調査を進めた所、漢拏山の南北の麓に多数の野生の桜樹があることを発見したが、時あだかも夏のことで、之を検定することができなかつたが、程なくそれに依つて新しい光明を認めうるかも知れないと思つて居る。
私の現在の推想に従へば染井吉野桜は、その花の組織形態より見て、大島桜と彼岸桜との雑種(アイノコ)ではないかと思はれる。その理由は、彼岸桜は雌蕊に毛があつて苞が非常に小さいが、山桜は雌蕊に毛が無く苞が非常に大きい。而して、染井吉野桜は雌蕊に毛があつて苞が大であるから、丁度此の中間の形態をとつて居ることが考へられる。又一面之を地理の上から云つても済州島は本島と朝鮮の中間に位して倭寇の昔より日本の漁船の寄港するものゝ少なくなかつたことや、日本の培養植物には支那朝鮮から渡つたものゝ非常に多いことなどを考へ合せるとき、私の推想にもいろいろな興味が湧いて来るわけである。
とまれ人々が花に酔ふてゐるとき私共はこうしたいろいろな疑問の解決のために日夜脳漿をしぼつているわけである。美しい此の花の祖先と血統を明かにして読者諸君にお知らせするのも、私共にとつて花を見る以上の楽しみである。
※原文の旧漢字は新漢字に改めました。仮名遣いは「くの字点」を除き原文のままです。
Koehne, Emil (Berhnard Adalbert Emil) (1848.02.12-1918.10.12)
Taquet, Emile-Joseph (1873-1952?): le père, arrivée en Corée, en 1897.
Wilson, Ernest Henry (1876.02.15-1930.10.15)