高木きよ子『桜―その聖と俗』中央公論社 1996年3月7日:
25-27頁:
さて、染井吉野について一言ふれておこう。この桜は、江戸時代末、上駒込村に住む植木師、河島権兵衛が、伊豆半島から二種の苗木をもってきて交配し新種を作り出したという。明治になって売り出したところ人々に大変喜ばれ、桜の名所、吉野にちなんで吉野桜とよばれていたが、本来、吉野の桜は山桜であるし、まぎらわしいので、当時、博物局の調査官であった藤野寄命(きめい)が、発祥地の名をとって染井吉野と命名したという。明治十八、九年ごろというからまだ百年あまりしかたっていない。それがあっという間に全国に広がり、桜といえば染井吉野をさすようになっ/てしまった。さらに染井吉野の両親が大島桜と江戸彼岸であると見抜いたのはアメリカ人のウィルソンである。この桜は韓国の済州島からきたとか、伊豆半島に自然に生じていたとか、桜の王者にしては素性がいまひとつはっきりしない感があるが、それだけ人々の関心をひいた桜といえるかもしれない。現在、東京、豊島区駒込六丁目の西福寺に「染井吉野の里」という碑が建っている。この桜は比較的、栽培しやすく成長も早い代わりに虫害や公害に弱く、寿命もせいぜい五、六十年である。
(中略)
このように桜の種類は多く複雑である。それぞれがその特徴を活かした花をつけ、人々は喜ばせてくれる。開花の時期もほとんどが同じ頃で、互いに妍を競うわけである。地方によって種類もさまざまであるし、山地、都会などでも違っている。一つの種類だけでなく、いろいろとり混/ざっていると、濃い淡い、大きい小さい、古木、若木などにぎやかで、春を謳歌しているさまはまさに日本の風情である。見る側もさまざまで、染井吉野のおおらかさを好む人もあれば、紅枝垂れの可憐さをいとおしむ人も多い。
私個人についていえば、まず桜と聞けばどんな種類のものでも、どこに咲いていても、季節外れであっても心が動く。若い木でも老木でも構わない。一本でも、何千本咲き揃っていても、ともかく桜ならいい。とはいうものの、やはりもっとも心をひかれるのは染井吉野である。あの花群のもつ魔性に私はとらえられてしまっている。桜の王者というにふさわしい風格、威厳が何ともいえない。日本の桜の歴史のなかでまだ百五十年程しか経っていないこの花が、桜の代表格となって君臨しているのには、それなりの品位、そして美しさがあってのことなのであろう。しかし、ここまで述べてきたように、桜の種類は多く、染井吉野だけが桜ではないし、逆に染井吉野を高慢だと嫌う人も多い。さらに桜自体を好まない人もまたたくさんいるのである。
199頁:
多くの日本人は桜は日本独特のもので外国にはないぐらいに思っている。たしかに日本の風土や土壌は桜の成育、栽培に適している。太古の昔から桜が日本の国土を美しく飾り、日本人は桜を何よりも身近の桜として、賞玩してきた。詩歌をはじめとしてあらゆる分野にわたって、桜を象徴としてあらわし桜に心を託してきている。日本人にとって桜は他の花々以上の意味をもち、日本人を根底から支えてくれる存在であったし、現在でもそのことに変わりはない。しかし、桜はけして日本独特の植物ではない。外国にもあり、自生か移植かの別はあっても、日本と同じようにそれぞれの国の春に装いを添えて、人々の目を楽しませているのである。「桜は日本のもの」という自負、思い上がりは今日では通用しない。そこで、ここでは外国の桜について触れておこう。
207-209頁:
3 アジアの国々の桜
アジアの中部から東部にかけては桜が比較的多い。インドのヒマラヤ山にはヒマラヤザクラと/いう美しい桜がある。花の色がどちらかといえば濃い種類である。インドには各地に桜が生育しているし、東南アジアの諸国にも多くみられる。これらのなかには、それぞれの国の原産のものもあれば戦時中、日本から移植したものもあるという、桜は北半球の熱帯地方以外には生育するので、かなり広い範囲にわたって見られる。台湾は気候の関係で寒緋桜という紅の濃い桜が多いらしい。北方のサハリンや千島諸島には千島桜というのがある。
中国についてみると、「櫻」という漢字のつくりの「嬰」は貴人の冠から垂れている糸にぶらさがった玉のことで、それが玉のような実のなる木、ユスラウメをさすという説がある。その字が日本の「左久良、佐具良、作楽、佐區羅」(『万葉集』『日本書紀』の表記)に宛てられた。中国の詩に登場する桜は、「シナノミザクラ」という実を食する桜らしい。また、鎌倉時代に来朝した元の僧祖元および清拙が、桜を見て「彷彿垂絲蜀海棠」と詩に作ったという故事から察すると、日本の桜は中国では海棠のことであったらしい。さらに幕末に来た中国人は桜を見てこれと同じ花は自国にはないといったということも伝えられている。いろいろの説があるが、要するに中国では元来、桜といえば欧米のように実が中心で花を観賞するのではなかったらしい。花といえば桃か梅だったのだろう。現在の中国には日本の桜があるが、これは明治以後、留学生などによって苗木がもち帰られて育ったものであるという。それらが親木になってまた、新しい品種も出来ていることと思う。
私が中国を訪れたのは数年前の三月の中頃だったが、桜は咲いていなかった。その昔、空海が/滞在していたという西安の青竜寺に香川県の有志が贈ったという桜の若木がちいさな蕾をつけていたのを思い出す。現在は中国のいたる所に日本の桜が花を咲かせている。武漢大学の構内にかなりの桜並木があるということである。
韓国の桜はまた豊富である。染井吉野の原産地は済州島という説もあるから、自生のものもいろいろの品種があるだろうし、日本から持っていった樹もあると思う。まだ訪れたことがないが、桜の季節にぜひ一度いってみたいと思っている。